2/28/2011

無題

大体10年周期で、その後の自分の人生に影響する程の惨事が起こる。
この1ヶ月に起こった2つの事は、その中でも1番と2番と言えるだろう。

はっきりいって凶報なんだけれど、
それによる逃避反応なのか、そういった時は必ず感覚が研ぎすまされて
思考が活性化する。負から生まれる正の作用。

こういう時にいつも何か形に残せたらなと思うんだけれど、
その状況に身を置いているとなかなか難しい。

これだけ書き留められただけでも進歩かな。

2/10/2011

あれからもう5年

ちょうど5年前の今日。






































発売して間もないアルバムのリリースパーティー。場所はニューヨーク。
これ以上ない環境でJay Deeを見られるとの思い込みから気分は高揚。

ニューヨークにいた一年間、
今日はPete Rock、3日後にはLord Finesse、
来週はDa Beatminerz、再来週はDJ Premier…
といった具合に夢のような日々が続いていた。
Cut Chemistのイベントに行ったら、遊びに来ていたMadlibが前に並んでいたり、
Africa BambaataaやSlick Rickが未だ現役で活動していたり…
他にもPrince Paul、Q-Tip、Diamond D、Large Professor………

しかも、それらのイベントが基本5ドル、高くても10ドル
下手すれば無料なんてことも珍しくなく、お金もかからない。
そのくせ純粋に音を楽しむために来る客が多いから、雰囲気も良好。

日本の保守性と下卑た貪欲さじゃ考えられないけれど、
文化の土台ができている彼の地の懐の深さとその恩恵を受け続ける毎日だった。

そんな生活が続いていたから、そこに彼は当然来るものだと思っていたし、
そのせいで、その日のクラブの前には、
いつにないほどの人だかりがあるのかと解釈していた。
でも、彼は一向に現れなかった。結局、夜中の2時を回った頃
勝手にドタキャンされたと思い込んで、ふて腐れながら帰りの地下鉄へ向かった。

次の日一緒に行った友人から連絡があった。
Jay Deeはその日の明け方、要するに箱を後にした数時間後
この世から居なくなったとの事。
病気の事なんて全く知らなかったし、昨日の今日だったからショックは大きかった。

その数日後DJ Spinnaが開いた追悼イベントに行った。
エントランスを抜けての地下の階段を下っていくと、
中学生の頃、初めて触れた彼の曲が丁度流されるところだった。





Hookの部分でそこに居た数十人が一斉に
"Stakes is high. You know them stakes is high."の声。

その後Spinnaが一言「Dillaは俺のヒーローだった。」

悲しいけれど、最高に盛り上がった。

結局彼を生で見ることは叶わなかったけれど、
とても貴重な時間を過ごせた。

享年32歳。その時初めて彼の年齢を知って驚いた。
Stakes is Highのリリース時わずか22歳。
とんでもない才能を失ったんだなと思った。


彼の死後、高額な医療費を母親が肩代わりする事になり、募金活動が行われていた。
最近話題になっていたKool Hercの件もそうだけれど、
これだけの活動をしてきた人物たちが、工面に困るほどの医療費。
行き過ぎた資本主義の恐ろしさを感じる。

それだけ極端な社会だからこそ、爆発的なものが生まれやすいのだろうけれど、
どうにかバランスを取っていかないといけないんだろうな。


兎に角あれからもう5年。月日は無常なものです。
Dillaよ、安らかに。